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2019/10/29

おふくろさんの旅立ち 〜平成最期の7日間〜

グルウスゴット、カイチョでございます!前回から続き、おふくろさんの緩和病棟での最期の7日間を書き留めたいとおもいます。

4月23日。この日を境におふくろさんの眠る時間が長くなりはじめ、咳やたんがひどくなり食事もだんだんと飲みこみが難しくなっていきます。この日は午後入浴もさせてもらい、スッキリさっぱり。やせほそってしまった肩や腕をみるのはほんとにほんとに辛かった。この段階にくると、栄養をがんばって体にとりこんでも、がん細胞にすべて栄養がいき、体重は落ちていくのだと言われました。サイゴのサイゴまで母の体のすみずみをガンに侵されて、本当にやりきれない悲しさ、ガンをやっつけられない悔しさ、ガンに負けてしまうという現実。

母の日が近かったのでお花屋さんにもカーネーションがたくさん並んでたので買ってきました!

4月24日。この日から薬(エチゾラムという心を落ち着かせて眠らせる薬)の作用なのか、飲みこむのがとても難しくなってきました。飲み込みリハビリ担当の先生が来ていろいろ検査してくれたが、結果なにも飲み込められない状況になってるとの判断。こういう状態だと、誤飲して肺炎とかにもなってしまうから、食事も取らない方がいいとのこと。食いしん坊のおふくろさんは、食べたい、食べたいの一心。でも食べさせてあげてもすぐにむせて、たんと一緒に吐き出してしまうという、なんちゅう悪循環…。

4月25日。今日も3度の食事を食べたいと言って、体をがんばって起こすがまったくもって飲み込めない。食事をあげるとすぐに吐き出すの繰り返しで、1度の食事で開けたばかりのテイッシュ箱が空になってしまう。眠る時間が増えても眼が覚めると、体勢を変えたり、水をスポンジに含ませてあげたり、まだ少し会話らしい会話もできる。主治医の先生が口の中にガンジダが繁殖してることを確認。口の中に住んでるカビだが、免疫が落ちたり低栄養だったり、不清潔にすると繁殖してしまうのだそうだ…ためいき。

4月26日。食事はまったくとれず手足のチアノーゼがかなりでてきている。食事が取れていないからか、血中酸素も指先では測れず、体温も低め。尿の量もがぐっと減り始める。作られる尿の量が少なくなってきているということは、体に毒素がたまりやすくなり、意識が朦朧としてくる時間が長くなるという。この日は一日中眠り、夕方に起きたいといって起き上がり、なぜかにっこり顔をくしゃくしゃにして最高の笑顔を見せてくれた。

起きあがって見せてくれた母の最後の笑顔です。(写真4月26日) こんな恥ずかしい写真載せるんじゃない!と、あの世から一喝されそうです 笑笑。


4月27日。ほぼ一日中眠っているおふくろさん。起きると痛みがあるらしく、あさからかなりの頻度でオキファスト(痛み止め)を入れてもらう。数回目を覚ましても、反応があまりなく声も出ないほど。尿の量もまたさらに減っている。会話らしい会話がもうできなくて、体をさすってあげたりすることしかできない…泣泣

4月28日。昨日よりもまたさらに変化を感じる、弱っている。カイチョはこの日からまた病室で昼夜付き添いをはじめることにしました。というのも、あと1ー2日くらいという診断が出たためです。おふくろさんは一日中眠ったまま、もうほぼ反応することもなくなってしまった。母と一緒の部屋にいながら、これから来る母の死と向き合えるか、とてつもなく不安になりました。

4月29日。尿もほとんど出ていない感じ。脈も手首はほぼ触れてなくて、体温も低いからか測定不能。父の心労をかなり感じる、みんな疲れている。思い出すのはおふくろさんとの楽しかった思い出ばかりで、しっかりと心の準備はしてきたつもりだが、日々死に向かって弱くなっていく母をみると胸が張り裂ける。カイチョ、歯くいしばって強くいなければ。

4月30日。31年間続いた平成時代の最後の日。朝起きるとおふくろさんは苦しそうだけど、眠ってる。意識は低下していて、目を少しでも開いてくれることはなくなってしまった。でも聴覚は最後までのこっているようで、意識が低下していても話しかけたり聞いたりすることに、かすかにうなずいたりする感じもある…。手首の脈も触れてなくて、血圧体温ともに測定不可。あれだけお腹にたまっていたので腹水がこの数日で嘘のようにきえてしまい、横たわっているお腹はペチャンコ。 尿も昨夜からほとんど出ておらず。呼吸の仕方が少し変わってきていて、肩が上がるような苦しそうな呼吸になってるが、先生いわく呼吸はさほど苦しくなく、寝顔から母も苦しんだりはしていないだろうとのこと。何にも反応を示さなくなってしまったおふくろさん、まだ身の置き場がなくて辛くて声を出していた1週間から10日前が懐かしくて、母の声が聞きたいと思う。

4月30日、平成最後の日の天皇陛下さま。いろんなことがあった平成時代、カイチョが大人の階段登った平成時代。

30日の昼、父に、「カイチョや、久しぶりにゆっくり昼食しておいで」と言われ、カイチョはなぜかこの日に限って、おふくろさんに「昼食行ってくるね。すぐ戻るからね」っていつも言っていく一言をいわずに病室をでてしまったのです。父の言葉に甘えて、昼メシ食べたあと場所を変えてカフェでゆっくりコーヒーを飲んでいたのです。その時、たて続けに父と病院からケータイが鳴り、「早く戻ってきてくれ」とのコール。駅前の道をダッシュし、「おふくろさん、待っててくれ!」と必死に願いながら鬼殺しの坂を、息も絶え絶え走り登りました。が、病室に汗だくでついた時には、ほんの数分おそく、もう母は息を引き取っていました。

父がおふくろさんを看取りました。母は浅い呼吸になりそれが止まり、そして首の血管が数回ピクピクッと動いて眠るように静かに逝ってしまったのだそうです。呼吸が変わってからものの5分もたたないうちに。カイチョは母のガンがわかったその日から、最期は絶対にカイチョがそばにいて見送ってあげようと心の中で決めていました。だからどうしてこの約1ヶ月間べったりくっついて居たのに最後の最後を一緒に居られなかったかと、ほんとに悲しいし悔しかった。でもきっと母は最期はカイチョではなく、長年一緒に人生を過ごしてきた父に看取って欲しくて、その時を選んだのではないかと思います。カイチョの勝手な解釈だったら、あの世のおふくろさんからまた一喝されそうですがね…苦笑。

医者がなかなか病室に来てくれなくて死亡診断がでるのが3ー40分かかり、診断書と実際息を引き取った時間に時差があります。カイチョとオヤジさんの間では、母は平成最後の日14時25分ごろ、安らかに永眠しました。一生懸命こんなカイチョを育ててくれて、家族をまとめて支えてくれて、たくさんの愛をもらいました。ほんとにいままでありがとう、おふくろさん!カイチョはおふくろさんの背中を見て育ってきたから、あなたのように華麗に強く生きていくよ!

おふくろさんが選んだコシノヒロコさんの上下を着て家に帰ってきたのは夜6時過ぎ。ちょうどゴールデンウィークで火葬場が大混雑で葬儀ができたのは1週間後。母は最初の2日間実家で過ごし、そのあと霊安室にうつされました。昭和、平成を華麗に生き切りましたね、おふくろさん!




母の帰りを玄関先でこんなにたくさんのバラが出迎えてくれました!




たくさんのお花にうめつくされて母は出棺しました。花を愛した母にピッタリの葬儀でした。

うちは浄土真宗なのですが、母の人柄によくにあった文字と、お釈迦様の釈、名前の一文字をあわせて法名をつけていただきました。「釈 玲照 」という法名です。明るく照らすような人柄、そしてこれからもカイチョたちを見守り照らしてくれるという、そんな意味での法名だとお坊さんから説明いただきました。冷照さん、これからもカイチョたちのこと見守ってね。


おふくろさんの闘病日記、1年半にわたり長く書いてきましたが、いちおうこれでジ・エンドです。いまガンという病気と闘っている方、その周りのご家族の方、どうぞいい治療ができていい方向に病気が治っていきますように!そして愛する人を残念ながらガンで失った方々、どうか時間とともに癒されて、いい思い出を胸に少しずつでも前進していけますように。これからの未来、医療がまた進んで、どうぞガンが完治できる病気になりますように!
カイチョは心からそう願ってます…!








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2019/06/11

おふくろさんの旅立ち。緩和ケア病棟での日々。

カイチョでございます、今日も前回からの続編です!

4月11日、おふくろさんがI病院の緩和ケア病棟に転院しました。この病院、すんごい鬼ごろしの坂のてっぺんに建っております。なんでまたこんなところに!と思いきや、むかし結核病院だったらしい…いまはリニューアルして綺麗な病院です。

毎晩夕方ごろ病棟の外に出ると近隣の駅前のタワマン達が綺麗に見えてました。このえきのまわりもこんなに変わるとは…誰が想像できたでしょうね!

緩和ケア病棟はすべて個室だけで構成されていて、病院とは思えないほど静かで綺麗です。家族も同じ部屋で寝泊まりができます。看護婦さんもめちゃくちゃ親切かつ丁寧…おふくろさんも同じように感じたことと思います。

部屋に到着後、すぐに再検査の準備…清潔で明るい病室にいるというだけで、おふくろさんも少しは気分的に違うことを願うばかり。(写真4月11日)

緩和ケアではオキファスト(医療用麻薬の痛み止め)は一日中点滴、それでも効かない時はフラッシュといって1時間分の量を一気に流すこともします。寝る前には心を落ち着かせる抗精神剤と睡眠薬も投与することになりました。担当医の先生との面談では、採血の結果悪く、肝数値が特に悪い。肝臓が機能低下してくると、解毒ができなくなるため、肝不全、それが脳不全などにもなり意識障害のせん妄などがでてくる。今後でてくる症状としては、おもにむくみ、黄疸、せん妄など。

オヤジさんは自宅の庭に咲いている花を毎日病室のおふくろさんに持ってきてあげてました。このチューリップの球根は、まだ母が元気だった頃、庭で一緒に植えたんだそう。(写真:4月14日)


3時のおやつをほおばるおふくろさんとおやじさん。(写真4月18日)

緩和ケア病棟に入ってからは、自称食いしん坊の母はなにせ食欲がもどり、毎日食事の時間をそれは楽しみにしていました。ペーストきざみ食事でしたが、美味しい美味しいとほぼ毎食完食していて、看護師さん達からこっそり聞いたのですが、この末期ガンの状態でまだ口から食べて完食してるっていうことはスゴイと、ナースステーションでおふくろさんはなんと話題の患者さんになっていたそうです。笑笑。

腫瘍内科のオグラ先生が言ってた小康状態っていうのはまちがいではなかったと思いました。それと同時に、ほんとに緩和ケア病棟に移ってきてよかったって思いました。 食事することで母はすこし体力がもどり、足の血流が悪くて、ど紫色に出ていたチアノーゼも少し解消され、看護師さん達の丁寧な対応やカイチョや父がそばにずっといることで母も安心しすこし状態が落ち着いているのかな〜とも。

少し病棟内を探検しようかと、車椅子にのせて母をラウンジまで連れ出しました。ちょっと部屋の外に出るだけで、すこし母にはリフレッシュになったみたい…これに乗って病棟を散歩したのは最初で最期になってしまいました。 このお散歩の後、おふくろさんがカイチョに「カイチョや、なんかお話ししてくれ」「わしはここで死ぬんだろうか…ま、綺麗なところだからいいけど…!」と。この日はなんとなくいろいろなことが正気で話せた日だったのです。(写真4月17日)

むくみで足がゾウ足のように重くて身の置き場がないのか、毎日「足を取ってくれ、足をぬがせてくれ、寒い、暑い、重い」の繰り返し…。「カラダを起こさせて、前を向きたい、座りたい」と5分おきにベッドを上げたり下げたり、寝がえりを手伝ってあげたり…薬をつかっていても、朝から朝まで自分のベストポジションが見つからず悩まされる日がほとんどでした。そして日に日にせん妄も強くではじめていて、朝から「助けて〜助けて〜」とうわ言のようにずっと繰り返す日も多くなりました。母のせん妄スイッチがはいると、カイチョもオヤジさんもほんとにどう助けてあげればいいのか、毎日ヘトヘトになりました。自分でも言ってることがわけがわからなくなっている母をなだめたり、要求を聞いてあげられなかったりすると、苦痛にゆがんでいらついて泣き叫ぶような顔しか見れず、「意地悪!」とも言われ、とにかくろくな会話ひとつできない日も…。意地悪なんかしてるわけじゃない…ほんとうに今思い出してもカイチョ泣けてくるのですが、せん妄に苦しめられ身の置き場がなく辛い母をどうにか救ってあげたいのに、ただそばでさすったり聞いてあげたりするだけしかできなかった状況は、ただただとっても辛かったです。

そんなせん妄の症状がひどくなってくると、やはりカイチョや父の疲労もかなりきました。「我々が倒れちゃいかんぜよ!」とそれだけは必死でしたが、あまりにもせん妄の母の付き添いに疲れてしまったことを看護師さんに相談すると、「鎮静」という眠らせて苦痛を取る方法を母の意思表示ができるうちに確認を取ってみてはいかがですか、との提案。

そんな鎮静の提案のあった4月18日の夜、ちょっと正気に戻ってるおふくろさんが、「カイチョや。大切な話がある」と言い出し、「わしはこの先ふつうの生活には戻れない。このままもう3日以内に死なせてほしい」と言うのです。おやじさんにもカイチョの弟とももう充分に話はしたから、もうこのまま苦痛を取りながら眠らせてほしいと。そこで鎮静の話を出すと、素直に「やって欲しい」と言われたのでした。そのあと、旅立ちの服装は紺色のコシノヒロコさんの上下がいいとか、友達はいっぱいいるけどお葬式は呼ばなくてもいいから、あとで知らせてくれれば十分だとか。そんな話までしたのです。話の途中、カイチョや弟の子育て時代はほんとにたのしくて、わしらを通していろんなママ友やたくさんの人たちと知り合えてよかったと。そしておふくろさん、「カイチョや、ありがとう。ほんとにここまでよくやってくれたよ」と。カイチョはもっとおふくろさんのそばにいて、たくさんいろいろ面倒見てあげたかった。

そして翌日4月19日、主治医の先生と鎮静について同意書にサイン。おふくろさんの場合、鎮静は日中は少しうとうとするくらいで、夜は多めに入れてもらう感じで、ずっと睡眠状態にあるわけではないということで同意。


その夜は鎮静をはじめたものの、薬の効きがどうも悪かったようで…せん妄がもっともひどく出た夜。カイチョにとってもおふくろさんにとっても一睡もできず悪夢のような一夜でした。「助けて〜助けて〜お願い〜」を一晩中繰り返す母。どうにかしてあげたいけど、ベッドの上でせわしなく動き、ベッドの柵をずっと叩いて錯乱している母をなだめるのはもはや不可能で、身も心も崩れ落ちてしまいそうでした。

その思いを、担当の看護師さんに世間話がてら相談しました。そうしたら、「カイチョ、色々なガン患者さんがいます。さっきまでご飯を食べていた人が急変することもあり得る病気がガンなのです。カイチョやご家族もこれからもっと辛い時期を迎える時が来る、なのでそれまで体力気力の温存のために、夜は私たち看護師にまかせて、病棟を離れて家で寝たほうがいいです」と。そして、おふくろさんが日頃やることで今でもやりたいという事、例えばきちっと座って食事をする、起きたい、などそういった気持ちを大切にしてあげて、個人のこだわりややりたいことを最後まで尊重してあげながら、家族との時間を日中大切にするのが良いですよ、と。

病室でのカイチョの寝床。久しぶりに畳の上に布団敷いて寝ていました!




朝と夜は病院の付き添い食をいただいてました。病院食のくせにやたらと美味しくてですね、毎日完食していました!日曜日の夜はシュウマイやら餃子やら中華が出るのです!


看護師さんと相談したことで、カイチョも気持ちがなんとなく落ち着き、この日から夜は病院近くのホテルで宿泊することにしました。ミュンヘンから飛んできて2週間ぶりに初めて病院以外のところで眠る‼️そしてやっとベッドにねそべりながらテレビ見てお尻かきながらビールも‼️ザ・プライスレス‼️

これすんごくうまかった‼️

次回はおふくろさんの最期の1週間を書きたいと思います。最近いろいろいろいろカイチョも人生前向きに忙しくしてまして、なかなかブログ更新できる時間が少なく、フアンの皆様にはご迷惑おかけしております。きょうも潔き一票よろしくお願い申し上げます!





























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2019/05/22

おふくろさんの旅立ち。救急搬送、4月5日から4月11日まで。

みなさまたいへんご無沙汰しております!初夏真っ盛り、緑が綺麗なミュンヘンからグルウスゴット、カイチョでございます。
緑のなかでシンシン深呼吸、嬉しそうなボウズ



我が最愛のおふくろさんが平成最後の4月30日午後2時25分ごろ、カイチョのオヤジさんに看取られて、I病院の緩和ケア病棟にて、眠るように息をひきとりました。享年74歳。大腸ガン告知からわずか1年4ヶ月、治療して余命は2年から2年半くらい…との言葉には届かず、たいへん悔しいですが、がん治療開始してわずか1年でおふくろさんは旅立ってしまいました。

5月30日に初月忌を迎え、来週6月17日には四十九日…この1ヶ月ブログを書こうと毎日のように思ってたけど、どうしてもいろいろなことが思い出されて泣きに泣いてしまって、とてもじゃないけど書けませんでした。でも49日をもうすぐ迎えるにあたって、悲しんでばかりいてはいけないし、自分のためにも母の供養のためにも、すこしずつ気持ちを前向きにきちんと母の死に向き合っていかんとな、と思ってます。どのような経緯で母が4月30日に至ったのか、どうぞお付き合いくださいね。


前回の3月のお見舞い里帰りブログでは、母が化膿性脊椎炎による3ヶ月に及ぶ病院生活からやっと退院して、これから在宅療養していくというところでした。カイチョもいったんはミュンヘンに帰ってきたものの、やはりとても心配でした。母のからだのこと、80歳の父のからだのこと、これからのふたりの生活のこと…ヘルパーさんや訪問看護師さんにはほぼ毎日来ていただいていたけど、とにかくすべてにおいて不安と心配が尽きない。なんだかわからないけど、カイチョの直感ってやつですか…あまりいい予感がしなくて、またすぐに日本に戻る予定にしていたのです。

4月4日…桜満開のなか、カイチョまた再びニッポンに到着。でも今回は桜をゆっくり味わってる余裕なんてなかった! 2週間ぶりに会う母は、トイレに行くのも介助が必要で、ほとんどベッドで一日すごすような状態。下肢のむくみもかわいそうなくらいひどいし、まるでどっかのメタボのオヤジみたいにお腹がぽこんとではじめて、2週間前には見なかった腹水が溜まり始めていました。母の病状も父の老老介護生活も、状況がとても深刻なことを実感しました。それでも母は笑顔で嬉しそうにカイチョに話すのです。先日やっと美容師さんにきてもらって髪の毛を切ってもらっただの、来週は待ちに待ったカラーをしてもらうんだ、とか。まだまだオシャレ意欲も残ってるし食欲もある…。

翌日4月5日、朝、実家でおふくろさんの朝食を手伝ってあげて、食後「すこし疲れたから休みたい」というおふくろさん。ベッドでぐっすり寝ているかのように見えたけど、このあと午後に38度の発熱、呼吸がとても浅くなり、訪問医師が到着するやいなや「とても厳しい状況です。もってあと1ー2週間、病院に搬送するなら今すぐじゃないとだめです」と言われ、夕方には救急車でまた病院に逆戻りしてしまったのです。

朝食後、スヤスヤと眠ってるおふくろさんをパチリ。まさか、このあと救急車で運ばれるとは思ってもみませんでした。

緊急搬送到着後のCTスキャンの結果、肝臓のガンがとても進行してしまっている。それに胸水、腹水も溜まり始めており、呼吸も血中酸素濃度が鼻から酸素チューブをいれてなんとか95%以上維持できる…日にち単位で考えて欲しいと宣告され、なんとも言えぬショック。そんななか、おやじさんがボソッと 「お前がミュンヘンから帰ってくるのをがんばって待っていたんじゃないか…」と。でもほんとうになぜこんなピッタリのタイミングで…?カイチョの顔みたら、安心して今まで頑張っていた気が抜けてしまったのかよ、おふくろさん…涙!と、思ったら、カイチョ、何がなんでも最期まで母のそばにいてあげないといかん‼️と心に誓いました。

カイチョもカラダを張ってこの日から昼夜病室での付き添いがはじまりました。個室にはなんとか入れたものの、とにかくどっかの廃墟なみにふるーい病院なので…用意されたのはなんと床上10センチの担架ベッド‼️ キュウキュウのエコクラスで半日かけてドイツから飛んできたあげくに、翌日から担架ベッドなんて…しかも20年前のカオサンで泊まった1泊100円のゲストハウスのベッドよりひでえな…と、思わずぶっ倒れそうになりましたが、この状況、もはや気力で乗り越えるしかない‼️

カイチョの寝床‼️泣泣‼️

そして頭上にはモニター。これがまた、おふくろさんの酸素数値が低くなったり、無呼吸になったりするとひっきりなしに音が出てうるさいのです。


病院に逆戻りした母は、痛み止めをいれてるにもかかわらず、やはり身の置き場がなくて、夜はほぼ1時間起きに起きる状態。寝がえりがひとりでうてないので頻繁に手伝ってあげたり、(これが腹水のせいで毎日のように母の体重が重くなっていくのですよ!寝がえりを手伝うのもまるでマグロをゴロンと転がす勢いでした!) お水をのませてあげたり、背中や足をさすってあげたり。これを父が3週間も1人で毎晩やっていたのだと思うと本当に厳しかっただろうと感じました。

おふくろさんは3ヶ月入院していたこの病院に連れ戻されたことがものすごくイヤだったみたいで、「私は家にいてそのまま死にたかった。病院なんかにきて治療などせず放っておいて欲しかった」「家に帰りたい、早く死にたい」とか「わたしはどうして歩けなくなっちゃったの、どうしてなの?」と仕切りに問い詰められたりして、カイチョもおふくろさんからそんな言葉を聞くたびに、胸が引き裂かれました。あんなに元気で活動的だったおふくろさんが、あるけなくなってしまってベッドに縛り付けられてるとおもうと、カイチョも悔しくて悲しくて大泣きしました。


これは訪問看護師さんたちから、母が亡くなったあとに聞いた話なのですが、母は面倒をみてくれている父のことをとても心配していて、退院後は自分が早くよくなるように頑張ろうという気持ちで、とっても前向きだったそうです。しかし、その母の一生懸命な気持ちとは逆に、具合はよくなるどころか悪くなるばかりで、ひどく精神的に落ち込んでしまっていたと。3月下旬にはむくみのひどさもあって足腰の筋力がとても衰えてしまい、自分でベッドから立つこともできなくなってしまっていました。それでも肝臓や肺に転移したガンは容赦なしに刻々と大きくなって、母の下肢はかわいそうなくらいむくんでひどくなり、腹水もたまり始めて、医療麻薬などの薬を使ってもなかなか効果がなく、背中の痛みや吐き気、身の置き場のない辛さや倦怠感に昼夜問わず襲われている状態でした。このようにいつなにがあってもおかしくない状態でしたので、父は訪問看護師さんたちに、k市立病院の緩和ケア病棟への入居を強く勧められていて、なにかあったときにはすぐ入居できるようにとすでに3月末の時点で手続きをはじめていたのです。

4月9日、久しぶりに腫瘍内科オグちゃん病室に登場。小康状態が続くかもしれないから緩和病棟への入居を進めたほうがいいというアドバイスから、父がK市立I病院緩和ケア病棟に面接へ。緩和ケア病棟も満床でなかなか空きがでないとはきいていたけど、病棟の先生は母を積極的に受け入れたい、部屋もひとつ空きがでそうなのでとのこと…(っていうことはどなたかが亡くなりそう…ってことか、みたいな)。

緩和ケア病棟…ホスピスともいわれます。末期の癌患者さんが治療はいっさい行わずに痛みなどを緩和しながら最期の時間を有意義に過ごすところです。3月下旬ごろ、カイチョがミュンヘンからいつも電話にするたびに「カイチョや、わし、いま緩和ケア病棟のパンフレットを見ていたんだ」とか細い声で言ってたおふくろさん。「おふくろさんや…どう思う、入りたい?」とカイチョが聞くと、「…今とは言わないけど、入りたい」と、しっかり返事はありました。あの時の母は本心だったのかなぁ、と今更ながら思います。住み慣れた思い出たくさんの家を離れるわけですから、母の気持ちはとても揺れ動いてたと思うし、カイチョや父は在宅で看てあげられないという悔しく悲しい気持ちもありました。ただやはり在宅では、看護師さんがボタンで呼べば来てくれるわけではないし、痛み苦しんでいる母の面倒を見るのはとてもできなかったと思うので、いまとなっては入居の手続きを着々とすすめておいて良かったと思ってます。

4月11日、K市立I病院緩和ケア病棟へ出発!カイチョも1週間寝た担架ベッドにお別れ‼️次はどんなベッドかな〜。

この場をお借りして…S医大病院、腫瘍内科の主治医オグラ先生、整形外科主治医アサノ先生、泌尿器科カツオカ先生、別館5階病棟看護師のみなさんには生前母がたいへんお世話になりました。長い間ほんとうにありがとうございました。

毎晩担架ベッドから母の手を握って寝ていました。

病院の敷地内の桜に癒されました。

タイトルに惹かれて読み始めましたが、色々参考になりました。



次回、緩和ケア病棟の日々をお伝えします〜!

本日もご訪問どうもありがとうございます!ミュンヘンブログには程遠くなってますが、本日も潔き一票よろしくお願い申し上げます‼️











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2019/03/25

〜介護は突然やってくる〜 その2。老老介護そして緩和ケア…おふくろさんの退院後です。

グルスコット、本日も青空宣言のミュンヘンでございます!今週末からは夏時間に変わり日の入りがどんどん長くなります。やっとはるですねぇぇ。待ってましたよ、サマータイム!

ボウズのからだがクチャイクチャイだったので、週末にシャワーをしてすっきりさっぱり!40キロのボウズをシャワーに引きずり込んで洗うには、カイチョもパンツいっちょになって、ハチマキしめてハッスルしてやらなあかんので大仕事です!今日もえっちら散歩です。


おふくろさんが退院してから丸2週間が経ちました。たくさんの方から退院おめでとう!メッセージいただきました、皆さまありがとうございます!好きなものを好きな時間に食べて住み慣れた場所で生活できる喜びは、日々おふくろさんも噛み締めていると思います。しかし、その反面、在宅療養に切り替わって、やはり心配なことは山ほどあります。

たくさんの方々のサポートやお力に頼りながらの毎日ですが、やはり昼夜家で常に一緒にいるのは80歳のおやじさん、まさに老老介護です。おやじさん、「生涯現役」という言葉がモットーなので、元気なことは元気なのですが、やはり80歳にもなると自分ができると思っても体が言うことを聞かなかったり、物忘れもめっきり増えているし、会話も「おい、アレやっといてくれ」とか「あれはどうなったのかなぁ」とか「あれ」「それ」と言った代名詞が増えていたり、話の飲み込みや理解も少し時間がかかったり…と。そんな世間によくいる80歳の頑固オヤジですが、「おふくろさんのために家族でできる限りのことをしてあげたい」と毎日念仏のように言っていて、結婚して約半世紀、今まで家のことはまったくもっておふくろさんまかせだった父が (これもこれで、この世代の悪いところとカイチョは思うのですが) 、母の世話から日常生活からまわりのことすべてを不器用ながらに一生懸命にやってる後ろ姿をみていると、カイチョのほうが辛くなってしまうのです。

実は退院してからの母は、思ったほど良い方向には回復していません。おふくろさんの在宅療養とは、現状維持しながらの緩和ケアというものなのだと思います。緩和ケア…がん患者さんの精神的、肉体的苦痛を和らげるためのケアです。薬の量も半端なく (これはほとんどが違うタイプの痛み止めと下剤なのですが)、食事もなかなかとれないのに、薬を飲むのも一苦労なわけです。

毎日、朝から10錠‼️これだけの量と種類をしっかり管理するのも、老老介護では大変です。日々飲んでいる医療麻薬の副作用で、おふくろさんの意識は朝から晩までボウーッとしていることがおおく、おやじさんは物忘れもひんぱんだし、ふたりで一緒に毎回指差し確認しながら飲んでくれと懇願しました。飲み忘れ、ダブルのみなどが無いように、カイチョが帰国前にオタク字で急いでおくすり表を作ったのですが…人それぞれやりやすいやり方があるので、この表が使用されているかは疑問です。しかしもって…薬に殺されるんじゃぁないかと、この量を見るとゾッとします。

また、おふくろさんは痛みで夜眠れない日も多くて、そうなるとまた医療麻薬を1ー2時間おきに体にいれて、やっと明け方眠れるようになる…こんな状態がほぼ毎日続いています。一緒の部屋で寝ているおやじさんも、おふくろさんが痛くて眠れないと背中をさすってあげたり、気になって眠れなかったりで、精神的にも体力的にも自分の体に限界があると最近言うようになりました。共倒れだけは絶対にさせてはいけないと思うし、おやじさんにはやはり母がこのような状態でも、出来るだけ今まで通りの生活のルーティンをキープしてほしいし、なにより体も心も元気でいて欲しいのです。



実家の近所は春爛漫でした!




そんな状況ですので、おやじさんの負担を少しでも減らしてもらうために、ケアマネさんから家政婦さん(ヘルパーさん)を紹介してもらいました。原則、老老介護で共倒れにならない限り介護保険のホームヘルパーさんの訪問介護サービスをうけられない、というのが今の日本の現状みたいで、けっこう厳しいです。ですので、時給の家政婦さんにきてもらって、家事から買い出し、食事の支度など頼むことにしました。介護資格もある方らしいので、母の介助も可能で、おやじさんも少しゴルフに行ったり、自分の時間や息抜きができる。こういう方がきてくれるだけでどれだけ助けになるか、ありがたいです。

おふくろさん、毎日、体調に波があります。一日のうちでも具合が良くなったり悪くなったりの繰り返しです。最近はお腹の痛みや、吐き気、倦怠感というのが多く出てるみたいで、腫瘍内科のオグちゃんの診察はもう少し先なのですが、もう4カ月も抗がん剤治療をストップしてるので、ガンの症状がでてきていてもおかしくないのかなと思います。体力が回復したら、ガン治療をしなくちゃいけないけど、果たして体力が回復するのかな、とか、もしかしたら治療できないまま終末期を迎えるのかもしれない、とも思うし。毎日カイチョとやりとりのあったLINEも最近はチャットがかえってこなくなりました。頭の中がうまくまとまらなくて、文字打つのも面倒なのだそうです。具合のいい時にしか電話もでられず、少しでも電話ではなせても具合が悪そうだと、もうどう言葉をかけていいのか、カイチョ途方にくれることもあります。毎日まいにち、カイチョの足りないオツムでいろんなことを考えるし、おふくろさんとのいろんなことを思い出すし、いろんな感情がわき出ます。

去年、おふくろさんが大腸ガン手術退院後、はじめて愛車MINIを運転して連れて行ってくれた近所の神社のシダレサクラです。すんごいでかいんですよ、このシダレサクラ、そして立派!今年は残念ながらまだ咲いていなかった…。今頃満開かな〜。

ミュンヘンでもしっかり面倒みないといけない老犬がいます。これ次回買って帰るか…。


空港の本屋で発見。非まじめ老後、気になります。
そしてコンマリ!いま世界で一番ホットなジャップガール!



J POPゴールドっちゅうプレイリストをスポチファイで発見!これを聴きながらミュンヘンへ!来週の今日は新元号発表ですね!新しい時代、ワクワクします!

ミュンヘン無事到着、全日空さん今回もありがとうー! 


今日もよく寝てますがな。ボウズと一緒に入れるという日常の幸せ…。毎日くそベタベタしています。

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2019/03/22

〜介護は突然やってくる〜 その1。おふくろさん退院しました!

トーキョーも開花宣言、ミュンヘンも青空宣言、春はもうそこまできているミュンヘンより、グルスコット! 長いブログになります。よろしくおつきあいください

先日3月上旬に再度お見舞い帰りをしました。全日空218便、毎度お世話になります!わたし失敗しないので、の大門未知子シリーズをプレモル片手に最初からほぼ最終話まで見続けて12時間終わりました。

最近ANAの機内安全ビデオがおもろく変わって、オモテナシの国ニッポン、YOUたちの心を機上でもワシ掴み、サスガですな!とおもいます。目指せ観光大国ニッポン。



カイチョのお見舞い里帰りと重なって、クリスマスより入院していたおふくろさんが退院して、12週間ぶりに家に戻ってきました!長かった入院生活、コルセットをはめて毎日リハビリもがんばったし、ひとりでなんとかトイレにも行けるようになったおふくろさん、しかし3ヶ月間の寝たきりだった状態からは、なかなか元の体にもどるには難しい…。


退院3日前からカウントダウンです。痛みはまだあるものの、点滴は全部外れて飲み薬に切り替えられて、ベッドサイドにひとりで起き上がれるまでになりました。この頃は病院食を「豚のエサ」とののしったり、あと3日もここにいるのが嫌だと駄々こねたり…毎日まいにちほぼ病室の天井の眺めしかなかった長いながい入院生活、おふくろさん本当によくがんばったと思う。


退院の日、最後のレントゲンをとり、サイドツーブロックでかあくん似の整形外科のアサノ先生に診察してもらう。3ヶ月の入院で、血中のばい菌は1月中旬の時点で殺しきれていたが、脊椎にはいったばい菌はMRIやレントゲンでもすべてみきれないため、100%殺しきれているかといえば、今もそれはなんとも言えない。ばい菌が入った骨が非常にもろくなっていて、重力や筋力の関係で、背骨の位置が元の位置より少し下にずれてしまい、昔、脊柱管狭窄症で腰の手術をしたときにいれた金属のクギが骨に食い込むかたちになってしまっている (泣泣‼️) なので、動くときは必ずコルセットはつけておくように、との指示。「センセ、おふくろさんの背中の痛みは取れるんですか、これから少しでもよくなっていくのでしょうか?」のカイチョの質問には正直口を濁す先生。「…う〜ん…。現状維持がベストです」との答え。おふくろさん、自分で車を運転したり、買い物に行ったり台所に立って食事を作ったり…もうできないのかな。


そしておやじさんの車で家路へ!
家に帰れるので嬉しいおふくろさんですが、車の助手席に座るのも大変だった…介護タクシーをアレンジしておくべきでした。

そして家に着いてから、カイチョの実家は門から玄関まで高い階段を10段ほどあがらなくてはならなくて、おふくろさんはまったくもってひとりではあがることができなかった。カイチョとおやじさんで両脇をささえながら持ち上げて一段ずつ進み、なんとか玄関までたどりつく。「鬼ごろしの階段だ…」とおふくろさんがボソッとつぶやく。カイチョも昔からひどい階段だなと思ってはいたけれども、これはちょっとヤバい…。手すりをつけるとかのレベルの話ではない!外出など介助の手がないとまったくできないではないか!


実は退院前に、おふくろさんがこれから在宅療養で介護保険サービスを利用するにあたって、住んでるK市から要介護5との認定が出ました。レベルが1ー5まであって、いちばん高い要介護のレベルです。まさかまさかうちのおふくろさんに限って…とずっと思っていたけど、介護というのはほんとに突然にやってくるものなのだ…。これから先の両親の生活のことを一番に考えなきゃいけないけど、万が一の自分の老後のことを考えたら、なんだか歳をとるのがソラ恐ろしくなってきました。素敵に歳を重ねるとか言ってるどこじゃぁない、老いが怖い、歳なんかとりたくない、不老不死の薬が欲しい!(これ本音) 





家に帰ってからすぐさま、地域の担当ケアマネージャーさん、(このケアマネさんがおふくろさんの生活にあった介護サービスのプランをまんべんなく立ててくれる、いわばプランナーみたいな存在、そして生活に関するどんなちいさな不安や相談事にも応じてくれる) これから週3-4回きてくれる訪問看護師さん、そして腫瘍内科主治医のオグちゃんと連携して診てくれる在宅訪問医師の先生、手すりや介護ベッドその他生活に必要なものを手配してくれた業者さん、とにかくめいっぱい人が入れ替わり立ち替わりあり、おふくろさんもおやじさんもカイチョもくたびれ果てました。でも、ほんとにみなさん、とても頼りになるし親切であったかい人たちばかりで、まわりのいろんな方々に頼ってチカラをお借りしてこれから生活をしていくといった感じです。

病院図書でカイチョが読んでた本。ちょっとしか読めなかったけど、ものすごくしっくり心にハマることが書いてあったので購入予定。


この前のブログで電グル30周年のこと書いたばかりだったのにな…。しかし…今さら逮捕かよ、とも思いますけど…笑笑。作品没収とか販売停止とか、わけわかんないことやってんじゃねーよとも思います。世の中に影響を与える人でもっと悪いことしてる人はまだまだたくさんいるじゃないですか、トランプとかゴーンとか。

近所で出会った短足ブサカワ犬、日本にいる間はホントにトッティに会いたくてたまらなくて、犬を見るたびにボウズのことを思います。


本日も長いブログ最後まで読んでいただきありがとうございます! 介護は突然やってくる、その2もすぐに更新します。おふくろさんにどうぞ皆様の愛のエネルギーを送ってあげてください!みなさまの潔き一票よろしくお願いします!














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