2019/06/11

おふくろさんの旅立ち。緩和ケア病棟での日々。

カイチョでございます、今日も前回からの続編です!

4月11日、おふくろさんがI病院の緩和ケア病棟に転院しました。この病院、すんごい鬼ごろしの坂のてっぺんに建っております。なんでまたこんなところに!と思いきや、むかし結核病院だったらしい…いまはリニューアルして綺麗な病院です。

毎晩夕方ごろ病棟の外に出ると近隣の駅前のタワマン達が綺麗に見えてました。このえきのまわりもこんなに変わるとは…誰が想像できたでしょうね!

緩和ケア病棟はすべて個室だけで構成されていて、病院とは思えないほど静かで綺麗です。家族も同じ部屋で寝泊まりができます。看護婦さんもめちゃくちゃ親切かつ丁寧…おふくろさんも同じように感じたことと思います。

部屋に到着後、すぐに再検査の準備…清潔で明るい病室にいるというだけで、おふくろさんも少しは気分的に違うことを願うばかり。(写真4月11日)

緩和ケアではオキファスト(医療用麻薬の痛み止め)は一日中点滴、それでも効かない時はフラッシュといって1時間分の量を一気に流すこともします。寝る前には心を落ち着かせる抗精神剤と睡眠薬も投与することになりました。担当医の先生との面談では、採血の結果悪く、肝数値が特に悪い。肝臓が機能低下してくると、解毒ができなくなるため、肝不全、それが脳不全などにもなり意識障害のせん妄などがでてくる。今後でてくる症状としては、おもにむくみ、黄疸、せん妄など。

オヤジさんは自宅の庭に咲いている花を毎日病室のおふくろさんに持ってきてあげてました。このチューリップの球根は、まだ母が元気だった頃、庭で一緒に植えたんだそう。(写真:4月14日)


3時のおやつをほおばるおふくろさんとおやじさん。(写真4月18日)

緩和ケア病棟に入ってからは、自称食いしん坊の母はなにせ食欲がもどり、毎日食事の時間をそれは楽しみにしていました。ペーストきざみ食事でしたが、美味しい美味しいとほぼ毎食完食していて、看護師さん達からこっそり聞いたのですが、この末期ガンの状態でまだ口から食べて完食してるっていうことはスゴイと、ナースステーションでおふくろさんはなんと話題の患者さんになっていたそうです。笑笑。

腫瘍内科のオグラ先生が言ってた小康状態っていうのはまちがいではなかったと思いました。それと同時に、ほんとに緩和ケア病棟に移ってきてよかったって思いました。 食事することで母はすこし体力がもどり、足の血流が悪くて、ど紫色に出ていたチアノーゼも少し解消され、看護師さん達の丁寧な対応やカイチョや父がそばにずっといることで母も安心しすこし状態が落ち着いているのかな〜とも。

少し病棟内を探検しようかと、車椅子にのせて母をラウンジまで連れ出しました。ちょっと部屋の外に出るだけで、すこし母にはリフレッシュになったみたい…これに乗って病棟を散歩したのは最初で最期になってしまいました。 このお散歩の後、おふくろさんがカイチョに「カイチョや、なんかお話ししてくれ」「わしはここで死ぬんだろうか…ま、綺麗なところだからいいけど…!」と。この日はなんとなくいろいろなことが正気で話せた日だったのです。(写真4月17日)

むくみで足がゾウ足のように重くて身の置き場がないのか、毎日「足を取ってくれ、足をぬがせてくれ、寒い、暑い、重い」の繰り返し…。「カラダを起こさせて、前を向きたい、座りたい」と5分おきにベッドを上げたり下げたり、寝がえりを手伝ってあげたり…薬をつかっていても、朝から朝まで自分のベストポジションが見つからず悩まされる日がほとんどでした。そして日に日にせん妄も強くではじめていて、朝から「助けて〜助けて〜」とうわ言のようにずっと繰り返す日も多くなりました。母のせん妄スイッチがはいると、カイチョもオヤジさんもほんとにどう助けてあげればいいのか、毎日ヘトヘトになりました。自分でも言ってることがわけがわからなくなっている母をなだめたり、要求を聞いてあげられなかったりすると、苦痛にゆがんでいらついて泣き叫ぶような顔しか見れず、「意地悪!」とも言われ、とにかくろくな会話ひとつできない日も…。意地悪なんかしてるわけじゃない…ほんとうに今思い出してもカイチョ泣けてくるのですが、せん妄に苦しめられ身の置き場がなく辛い母をどうにか救ってあげたいのに、ただそばでさすったり聞いてあげたりするだけしかできなかった状況は、ただただとっても辛かったです。

そんなせん妄の症状がひどくなってくると、やはりカイチョや父の疲労もかなりきました。「我々が倒れちゃいかんぜよ!」とそれだけは必死でしたが、あまりにもせん妄の母の付き添いに疲れてしまったことを看護師さんに相談すると、「鎮静」という眠らせて苦痛を取る方法を母の意思表示ができるうちに確認を取ってみてはいかがですか、との提案。

そんな鎮静の提案のあった4月18日の夜、ちょっと正気に戻ってるおふくろさんが、「カイチョや。大切な話がある」と言い出し、「わしはこの先ふつうの生活には戻れない。このままもう3日以内に死なせてほしい」と言うのです。おやじさんにもカイチョの弟とももう充分に話はしたから、もうこのまま苦痛を取りながら眠らせてほしいと。そこで鎮静の話を出すと、素直に「やって欲しい」と言われたのでした。そのあと、旅立ちの服装は紺色のコシノヒロコさんの上下がいいとか、友達はいっぱいいるけどお葬式は呼ばなくてもいいから、あとで知らせてくれれば十分だとか。そんな話までしたのです。話の途中、カイチョや弟の子育て時代はほんとにたのしくて、わしらを通していろんなママ友やたくさんの人たちと知り合えてよかったと。そしておふくろさん、「カイチョや、ありがとう。ほんとにここまでよくやってくれたよ」と。カイチョはもっとおふくろさんのそばにいて、たくさんいろいろ面倒見てあげたかった。

そして翌日4月19日、主治医の先生と鎮静について同意書にサイン。おふくろさんの場合、鎮静は日中は少しうとうとするくらいで、夜は多めに入れてもらう感じで、ずっと睡眠状態にあるわけではないということで同意。


その夜は鎮静をはじめたものの、薬の効きがどうも悪かったようで…せん妄がもっともひどく出た夜。カイチョにとってもおふくろさんにとっても一睡もできず悪夢のような一夜でした。「助けて〜助けて〜お願い〜」を一晩中繰り返す母。どうにかしてあげたいけど、ベッドの上でせわしなく動き、ベッドの柵をずっと叩いて錯乱している母をなだめるのはもはや不可能で、身も心も崩れ落ちてしまいそうでした。

その思いを、担当の看護師さんに世間話がてら相談しました。そうしたら、「カイチョ、色々なガン患者さんがいます。さっきまでご飯を食べていた人が急変することもあり得る病気がガンなのです。カイチョやご家族もこれからもっと辛い時期を迎える時が来る、なのでそれまで体力気力の温存のために、夜は私たち看護師にまかせて、病棟を離れて家で寝たほうがいいです」と。そして、おふくろさんが日頃やることで今でもやりたいという事、例えばきちっと座って食事をする、起きたい、などそういった気持ちを大切にしてあげて、個人のこだわりややりたいことを最後まで尊重してあげながら、家族との時間を日中大切にするのが良いですよ、と。

病室でのカイチョの寝床。久しぶりに畳の上に布団敷いて寝ていました!




朝と夜は病院の付き添い食をいただいてました。病院食のくせにやたらと美味しくてですね、毎日完食していました!日曜日の夜はシュウマイやら餃子やら中華が出るのです!


看護師さんと相談したことで、カイチョも気持ちがなんとなく落ち着き、この日から夜は病院近くのホテルで宿泊することにしました。ミュンヘンから飛んできて2週間ぶりに初めて病院以外のところで眠る‼️そしてやっとベッドにねそべりながらテレビ見てお尻かきながらビールも‼️ザ・プライスレス‼️

これすんごくうまかった‼️

次回はおふくろさんの最期の1週間を書きたいと思います。最近いろいろいろいろカイチョも人生前向きに忙しくしてまして、なかなかブログ更新できる時間が少なく、フアンの皆様にはご迷惑おかけしております。きょうも潔き一票よろしくお願い申し上げます!





























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