2019/10/29

おふくろさんの旅立ち 〜平成最期の7日間〜

グルウスゴット、カイチョでございます!前回から続き、おふくろさんの緩和病棟での最期の7日間を書き留めたいとおもいます。

4月23日。この日を境におふくろさんの眠る時間が長くなりはじめ、咳やたんがひどくなり食事もだんだんと飲みこみが難しくなっていきます。この日は午後入浴もさせてもらい、スッキリさっぱり。やせほそってしまった肩や腕をみるのはほんとにほんとに辛かった。この段階にくると、栄養をがんばって体にとりこんでも、がん細胞にすべて栄養がいき、体重は落ちていくのだと言われました。サイゴのサイゴまで母の体のすみずみをガンに侵されて、本当にやりきれない悲しさ、ガンをやっつけられない悔しさ、ガンに負けてしまうという現実。

母の日が近かったのでお花屋さんにもカーネーションがたくさん並んでたので買ってきました!

4月24日。この日から薬(エチゾラムという心を落ち着かせて眠らせる薬)の作用なのか、飲みこむのがとても難しくなってきました。飲み込みリハビリ担当の先生が来ていろいろ検査してくれたが、結果なにも飲み込められない状況になってるとの判断。こういう状態だと、誤飲して肺炎とかにもなってしまうから、食事も取らない方がいいとのこと。食いしん坊のおふくろさんは、食べたい、食べたいの一心。でも食べさせてあげてもすぐにむせて、たんと一緒に吐き出してしまうという、なんちゅう悪循環…。

4月25日。今日も3度の食事を食べたいと言って、体をがんばって起こすがまったくもって飲み込めない。食事をあげるとすぐに吐き出すの繰り返しで、1度の食事で開けたばかりのテイッシュ箱が空になってしまう。眠る時間が増えても眼が覚めると、体勢を変えたり、水をスポンジに含ませてあげたり、まだ少し会話らしい会話もできる。主治医の先生が口の中にガンジダが繁殖してることを確認。口の中に住んでるカビだが、免疫が落ちたり低栄養だったり、不清潔にすると繁殖してしまうのだそうだ…ためいき。

4月26日。食事はまったくとれず手足のチアノーゼがかなりでてきている。食事が取れていないからか、血中酸素も指先では測れず、体温も低め。尿の量もがぐっと減り始める。作られる尿の量が少なくなってきているということは、体に毒素がたまりやすくなり、意識が朦朧としてくる時間が長くなるという。この日は一日中眠り、夕方に起きたいといって起き上がり、なぜかにっこり顔をくしゃくしゃにして最高の笑顔を見せてくれた。

起きあがって見せてくれた母の最後の笑顔です。(写真4月26日) こんな恥ずかしい写真載せるんじゃない!と、あの世から一喝されそうです 笑笑。


4月27日。ほぼ一日中眠っているおふくろさん。起きると痛みがあるらしく、あさからかなりの頻度でオキファスト(痛み止め)を入れてもらう。数回目を覚ましても、反応があまりなく声も出ないほど。尿の量もまたさらに減っている。会話らしい会話がもうできなくて、体をさすってあげたりすることしかできない…泣泣

4月28日。昨日よりもまたさらに変化を感じる、弱っている。カイチョはこの日からまた病室で昼夜付き添いをはじめることにしました。というのも、あと1ー2日くらいという診断が出たためです。おふくろさんは一日中眠ったまま、もうほぼ反応することもなくなってしまった。母と一緒の部屋にいながら、これから来る母の死と向き合えるか、とてつもなく不安になりました。

4月29日。尿もほとんど出ていない感じ。脈も手首はほぼ触れてなくて、体温も低いからか測定不能。父の心労をかなり感じる、みんな疲れている。思い出すのはおふくろさんとの楽しかった思い出ばかりで、しっかりと心の準備はしてきたつもりだが、日々死に向かって弱くなっていく母をみると胸が張り裂ける。カイチョ、歯くいしばって強くいなければ。

4月30日。31年間続いた平成時代の最後の日。朝起きるとおふくろさんは苦しそうだけど、眠ってる。意識は低下していて、目を少しでも開いてくれることはなくなってしまった。でも聴覚は最後までのこっているようで、意識が低下していても話しかけたり聞いたりすることに、かすかにうなずいたりする感じもある…。手首の脈も触れてなくて、血圧体温ともに測定不可。あれだけお腹にたまっていたので腹水がこの数日で嘘のようにきえてしまい、横たわっているお腹はペチャンコ。 尿も昨夜からほとんど出ておらず。呼吸の仕方が少し変わってきていて、肩が上がるような苦しそうな呼吸になってるが、先生いわく呼吸はさほど苦しくなく、寝顔から母も苦しんだりはしていないだろうとのこと。何にも反応を示さなくなってしまったおふくろさん、まだ身の置き場がなくて辛くて声を出していた1週間から10日前が懐かしくて、母の声が聞きたいと思う。

4月30日、平成最後の日の天皇陛下さま。いろんなことがあった平成時代、カイチョが大人の階段登った平成時代。

30日の昼、父に、「カイチョや、久しぶりにゆっくり昼食しておいで」と言われ、カイチョはなぜかこの日に限って、おふくろさんに「昼食行ってくるね。すぐ戻るからね」っていつも言っていく一言をいわずに病室をでてしまったのです。父の言葉に甘えて、昼メシ食べたあと場所を変えてカフェでゆっくりコーヒーを飲んでいたのです。その時、たて続けに父と病院からケータイが鳴り、「早く戻ってきてくれ」とのコール。駅前の道をダッシュし、「おふくろさん、待っててくれ!」と必死に願いながら鬼殺しの坂を、息も絶え絶え走り登りました。が、病室に汗だくでついた時には、ほんの数分おそく、もう母は息を引き取っていました。

父がおふくろさんを看取りました。母は浅い呼吸になりそれが止まり、そして首の血管が数回ピクピクッと動いて眠るように静かに逝ってしまったのだそうです。呼吸が変わってからものの5分もたたないうちに。カイチョは母のガンがわかったその日から、最期は絶対にカイチョがそばにいて見送ってあげようと心の中で決めていました。だからどうしてこの約1ヶ月間べったりくっついて居たのに最後の最後を一緒に居られなかったかと、ほんとに悲しいし悔しかった。でもきっと母は最期はカイチョではなく、長年一緒に人生を過ごしてきた父に看取って欲しくて、その時を選んだのではないかと思います。カイチョの勝手な解釈だったら、あの世のおふくろさんからまた一喝されそうですがね…苦笑。

医者がなかなか病室に来てくれなくて死亡診断がでるのが3ー40分かかり、診断書と実際息を引き取った時間に時差があります。カイチョとオヤジさんの間では、母は平成最後の日14時25分ごろ、安らかに永眠しました。一生懸命こんなカイチョを育ててくれて、家族をまとめて支えてくれて、たくさんの愛をもらいました。ほんとにいままでありがとう、おふくろさん!カイチョはおふくろさんの背中を見て育ってきたから、あなたのように華麗に強く生きていくよ!

おふくろさんが選んだコシノヒロコさんの上下を着て家に帰ってきたのは夜6時過ぎ。ちょうどゴールデンウィークで火葬場が大混雑で葬儀ができたのは1週間後。母は最初の2日間実家で過ごし、そのあと霊安室にうつされました。昭和、平成を華麗に生き切りましたね、おふくろさん!




母の帰りを玄関先でこんなにたくさんのバラが出迎えてくれました!




たくさんのお花にうめつくされて母は出棺しました。花を愛した母にピッタリの葬儀でした。

うちは浄土真宗なのですが、母の人柄によくにあった文字と、お釈迦様の釈、名前の一文字をあわせて法名をつけていただきました。「釈 玲照 」という法名です。明るく照らすような人柄、そしてこれからもカイチョたちを見守り照らしてくれるという、そんな意味での法名だとお坊さんから説明いただきました。冷照さん、これからもカイチョたちのこと見守ってね。


おふくろさんの闘病日記、1年半にわたり長く書いてきましたが、いちおうこれでジ・エンドです。いまガンという病気と闘っている方、その周りのご家族の方、どうぞいい治療ができていい方向に病気が治っていきますように!そして愛する人を残念ながらガンで失った方々、どうか時間とともに癒されて、いい思い出を胸に少しずつでも前進していけますように。これからの未来、医療がまた進んで、どうぞガンが完治できる病気になりますように!
カイチョは心からそう願ってます…!








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