2019/05/22

おふくろさんの旅立ち。救急搬送、4月5日から4月11日まで。

みなさまたいへんご無沙汰しております!初夏真っ盛り、緑が綺麗なミュンヘンからグルウスゴット、カイチョでございます。
緑のなかでシンシン深呼吸、嬉しそうなボウズ



我が最愛のおふくろさんが平成最後の4月30日午後2時25分ごろ、カイチョのオヤジさんに看取られて、I病院の緩和ケア病棟にて、眠るように息をひきとりました。享年74歳。大腸ガン告知からわずか1年4ヶ月、治療して余命は2年から2年半くらい…との言葉には届かず、たいへん悔しいですが、がん治療開始してわずか1年でおふくろさんは旅立ってしまいました。

5月30日に初月忌を迎え、来週6月17日には四十九日…この1ヶ月ブログを書こうと毎日のように思ってたけど、どうしてもいろいろなことが思い出されて泣きに泣いてしまって、とてもじゃないけど書けませんでした。でも49日をもうすぐ迎えるにあたって、悲しんでばかりいてはいけないし、自分のためにも母の供養のためにも、すこしずつ気持ちを前向きにきちんと母の死に向き合っていかんとな、と思ってます。どのような経緯で母が4月30日に至ったのか、どうぞお付き合いくださいね。


前回の3月のお見舞い里帰りブログでは、母が化膿性脊椎炎による3ヶ月に及ぶ病院生活からやっと退院して、これから在宅療養していくというところでした。カイチョもいったんはミュンヘンに帰ってきたものの、やはりとても心配でした。母のからだのこと、80歳の父のからだのこと、これからのふたりの生活のこと…ヘルパーさんや訪問看護師さんにはほぼ毎日来ていただいていたけど、とにかくすべてにおいて不安と心配が尽きない。なんだかわからないけど、カイチョの直感ってやつですか…あまりいい予感がしなくて、またすぐに日本に戻る予定にしていたのです。

4月4日…桜満開のなか、カイチョまた再びニッポンに到着。でも今回は桜をゆっくり味わってる余裕なんてなかった! 2週間ぶりに会う母は、トイレに行くのも介助が必要で、ほとんどベッドで一日すごすような状態。下肢のむくみもかわいそうなくらいひどいし、まるでどっかのメタボのオヤジみたいにお腹がぽこんとではじめて、2週間前には見なかった腹水が溜まり始めていました。母の病状も父の老老介護生活も、状況がとても深刻なことを実感しました。それでも母は笑顔で嬉しそうにカイチョに話すのです。先日やっと美容師さんにきてもらって髪の毛を切ってもらっただの、来週は待ちに待ったカラーをしてもらうんだ、とか。まだまだオシャレ意欲も残ってるし食欲もある…。

翌日4月5日、朝、実家でおふくろさんの朝食を手伝ってあげて、食後「すこし疲れたから休みたい」というおふくろさん。ベッドでぐっすり寝ているかのように見えたけど、このあと午後に38度の発熱、呼吸がとても浅くなり、訪問医師が到着するやいなや「とても厳しい状況です。もってあと1ー2週間、病院に搬送するなら今すぐじゃないとだめです」と言われ、夕方には救急車でまた病院に逆戻りしてしまったのです。

朝食後、スヤスヤと眠ってるおふくろさんをパチリ。まさか、このあと救急車で運ばれるとは思ってもみませんでした。

緊急搬送到着後のCTスキャンの結果、肝臓のガンがとても進行してしまっている。それに胸水、腹水も溜まり始めており、呼吸も血中酸素濃度が鼻から酸素チューブをいれてなんとか95%以上維持できる…日にち単位で考えて欲しいと宣告され、なんとも言えぬショック。そんななか、おやじさんがボソッと 「お前がミュンヘンから帰ってくるのをがんばって待っていたんじゃないか…」と。でもほんとうになぜこんなピッタリのタイミングで…?カイチョの顔みたら、安心して今まで頑張っていた気が抜けてしまったのかよ、おふくろさん…涙!と、思ったら、カイチョ、何がなんでも最期まで母のそばにいてあげないといかん‼️と心に誓いました。

カイチョもカラダを張ってこの日から昼夜病室での付き添いがはじまりました。個室にはなんとか入れたものの、とにかくどっかの廃墟なみにふるーい病院なので…用意されたのはなんと床上10センチの担架ベッド‼️ キュウキュウのエコクラスで半日かけてドイツから飛んできたあげくに、翌日から担架ベッドなんて…しかも20年前のカオサンで泊まった1泊100円のゲストハウスのベッドよりひでえな…と、思わずぶっ倒れそうになりましたが、この状況、もはや気力で乗り越えるしかない‼️

カイチョの寝床‼️泣泣‼️

そして頭上にはモニター。これがまた、おふくろさんの酸素数値が低くなったり、無呼吸になったりするとひっきりなしに音が出てうるさいのです。


病院に逆戻りした母は、痛み止めをいれてるにもかかわらず、やはり身の置き場がなくて、夜はほぼ1時間起きに起きる状態。寝がえりがひとりでうてないので頻繁に手伝ってあげたり、(これが腹水のせいで毎日のように母の体重が重くなっていくのですよ!寝がえりを手伝うのもまるでマグロをゴロンと転がす勢いでした!) お水をのませてあげたり、背中や足をさすってあげたり。これを父が3週間も1人で毎晩やっていたのだと思うと本当に厳しかっただろうと感じました。

おふくろさんは3ヶ月入院していたこの病院に連れ戻されたことがものすごくイヤだったみたいで、「私は家にいてそのまま死にたかった。病院なんかにきて治療などせず放っておいて欲しかった」「家に帰りたい、早く死にたい」とか「わたしはどうして歩けなくなっちゃったの、どうしてなの?」と仕切りに問い詰められたりして、カイチョもおふくろさんからそんな言葉を聞くたびに、胸が引き裂かれました。あんなに元気で活動的だったおふくろさんが、あるけなくなってしまってベッドに縛り付けられてるとおもうと、カイチョも悔しくて悲しくて大泣きしました。


これは訪問看護師さんたちから、母が亡くなったあとに聞いた話なのですが、母は面倒をみてくれている父のことをとても心配していて、退院後は自分が早くよくなるように頑張ろうという気持ちで、とっても前向きだったそうです。しかし、その母の一生懸命な気持ちとは逆に、具合はよくなるどころか悪くなるばかりで、ひどく精神的に落ち込んでしまっていたと。3月下旬にはむくみのひどさもあって足腰の筋力がとても衰えてしまい、自分でベッドから立つこともできなくなってしまっていました。それでも肝臓や肺に転移したガンは容赦なしに刻々と大きくなって、母の下肢はかわいそうなくらいむくんでひどくなり、腹水もたまり始めて、医療麻薬などの薬を使ってもなかなか効果がなく、背中の痛みや吐き気、身の置き場のない辛さや倦怠感に昼夜問わず襲われている状態でした。このようにいつなにがあってもおかしくない状態でしたので、父は訪問看護師さんたちに、k市立病院の緩和ケア病棟への入居を強く勧められていて、なにかあったときにはすぐ入居できるようにとすでに3月末の時点で手続きをはじめていたのです。

4月9日、久しぶりに腫瘍内科オグちゃん病室に登場。小康状態が続くかもしれないから緩和病棟への入居を進めたほうがいいというアドバイスから、父がK市立I病院緩和ケア病棟に面接へ。緩和ケア病棟も満床でなかなか空きがでないとはきいていたけど、病棟の先生は母を積極的に受け入れたい、部屋もひとつ空きがでそうなのでとのこと…(っていうことはどなたかが亡くなりそう…ってことか、みたいな)。

緩和ケア病棟…ホスピスともいわれます。末期の癌患者さんが治療はいっさい行わずに痛みなどを緩和しながら最期の時間を有意義に過ごすところです。3月下旬ごろ、カイチョがミュンヘンからいつも電話にするたびに「カイチョや、わし、いま緩和ケア病棟のパンフレットを見ていたんだ」とか細い声で言ってたおふくろさん。「おふくろさんや…どう思う、入りたい?」とカイチョが聞くと、「…今とは言わないけど、入りたい」と、しっかり返事はありました。あの時の母は本心だったのかなぁ、と今更ながら思います。住み慣れた思い出たくさんの家を離れるわけですから、母の気持ちはとても揺れ動いてたと思うし、カイチョや父は在宅で看てあげられないという悔しく悲しい気持ちもありました。ただやはり在宅では、看護師さんがボタンで呼べば来てくれるわけではないし、痛み苦しんでいる母の面倒を見るのはとてもできなかったと思うので、いまとなっては入居の手続きを着々とすすめておいて良かったと思ってます。

4月11日、K市立I病院緩和ケア病棟へ出発!カイチョも1週間寝た担架ベッドにお別れ‼️次はどんなベッドかな〜。

この場をお借りして…S医大病院、腫瘍内科の主治医オグラ先生、整形外科主治医アサノ先生、泌尿器科カツオカ先生、別館5階病棟看護師のみなさんには生前母がたいへんお世話になりました。長い間ほんとうにありがとうございました。

毎晩担架ベッドから母の手を握って寝ていました。

病院の敷地内の桜に癒されました。

タイトルに惹かれて読み始めましたが、色々参考になりました。



次回、緩和ケア病棟の日々をお伝えします〜!

本日もご訪問どうもありがとうございます!ミュンヘンブログには程遠くなってますが、本日も潔き一票よろしくお願い申し上げます‼️











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